未知なるマリアージュの世界へようこそ!

私の超オススメワインをご紹介します🥂🍷✨

整えるのではなく、違いを生かす

目の前にあるのは、クリュッグ グランド・キュヴェ 170です。
細やかな泡は途切れることなく立ちのぼり、グラスの中で静かなリズムを刻んでいます。
やわらかな光を受けた液体は、明るさだけではない、わずかに深みを帯びた色調を見せています。
この時点で、単なる軽やかさとは異なる方向性が示唆されます。

口に含むと、まず熟した果実のふくらみが広がります。
それは前に押し出すというより、内側に厚みをもつ印象です。
続いて香ばしさが重なり、さらにわずかに乾いたニュアンス、そして湿り気を帯びた熟成の気配が、時間差でほどけていきます。
余韻は長く、その終盤にほのかな苦みが静かに残ります。
このシャンパーニュは、一度にすべてを提示するのではありません。
要素が重なり合いながら、順を追って姿を現していきます。

ここで、最近飲んだ169と171を思い出します。
169は、より引き締まった印象でした。
果実は抑制され、緊張感が前に出ます。
飲み手に余白を残す、端正な表現です。
一方171は、より開放的です。
果実が前に立ち、最初の一口から空間を満たします。
密度とエネルギーが、全体を牽引しています。

それに対して170は、そのいずれにも偏りません。
果実感、香ばしさ、熟成のニュアンスが、ひとつに均されすぎることなく、しかし全体として見事に調和しています。
ここに、クリュッグの思想が見えます。
多くのメゾンにおけるノン・ヴィンテージは、年ごとの差異をならし、常に同じスタイルへと整えるための手法です。
再現性と安定感が重視されます。

しかし、クリュッグのマルチヴィンテージは、その方向を取りません。
170を味わっていると明確になりますが、これは違いを消した味ではありません。
2014年を中心とする個性がまずあり、それを損なわないように、他の年のワインが支えています。
差異はならされるのではなく、調和のなかに取り込まれているのです。
だから、169、170、171は同じような〝着地〟にはなりません。
それぞれに、明確な個性があります。
170で感じる、果実のあとに香ばしさが重なり、さらに熟成の気配がゆっくりとほどけていく流れ。
そして余韻に残るわずかな苦み。
これらは、要素を均した結果ではなく、異なる年の特徴が保たれたまま、全体として調和していることのあらわれです。
グラスの中の泡は、静かに、しかし途切れることなく続いています。
急がず、主張しすぎず、それでも確かな存在感を示しています。
その佇まいは、170の味わいそのものです。
単一の印象に収束するのではなく、
ひとつの年を中心に、複数の時間が折り重なりながら広がっていく。
クリュッグとは、整えるのではなく、違いを生かすシャンパーニュです。

f:id:hrm628:20260725060540j:image

なにもしないために、手間暇かける

今夜、グラスに注いだのは、ニコラ・マイヤールの「モンシュノ・プルミエ・クリュ」です。
このシャンパーニュには、清澄も濾過も施されていません。いずれも、ワインに残る微細な成分を取り除き、透明度と安定性を高めるための工程です。
遠くへ運ばれ、長く保存されるシャンパーニュにとって、品質の安定は、造り手への信頼そのものです。だからこそ、これらの工程をあえて省くところに、造り手の並々ならぬこだわりがあります。

そこにあるのは、最後の処理に頼らなくてもよいところまで、それ以前の工程でワインを仕上げておくという意思です。
健全なぶどうを選び、発酵を見極め、樽や澱との時間、温度や酸素の扱いを細やかに管理する。

無清澄・無濾過とは、自然に任せることではありません。余計な介入を必要としないところまで、ワインを丁寧に育てることなのです。
グラスに注いだ直後は、硬質な酸と張りつめた緊張感がありました。
やがて温度が上がり、泡が穏やかになるにつれて、果実の厚み、樽の香ばしさ、澱と過ごした時間の旨味が、ゆっくりとほどけていきます。

もちろん、その変化のすべてを、無濾過だけで説明することはできません。
それでも、このワインには、一つの表情に固定されていないような余白がありました。飲み進めるほどに、隠れていたものが現れてくる。その移ろいまで含めて、ニコラ・マイヤールらしさなのだと思います。

技術とは、手を加えることだけではありません。どこで手を止めるかを見極めることでもあります。
余計な手を加えずにすむように、それまでの工程で手を尽くす。
なにもしないように見える最後の選択にこそ、造り手の手間暇が凝縮されているのです。

f:id:hrm628:20260720095259j:image

ストラディバリウスを超えられない、本当の理由

音だけを比べれば、現代のヴァイオリンが、ストラディバリウスより高く評価されることがあります。
より遠くまで届く響き。
より明瞭な発音。
演奏家にとっての弾きやすさ。
木材を分析し、振動を測り、形状を精密に設計する。現代の製作家は、ストラディバリの時代にはなかった知識と技術を手にしています。

それでも、ストラディバリウスという存在は、超えられません。
その価値は、音のなかだけにあるのではないからです。
誰がつくり、誰が弾き、どの時代を生き延び、誰から誰へと受け継がれてきたのか。
一挺の楽器に、三百年分の人間の営みが折り重なっています。
どれほど優れた楽器をつくれても、三百年を生きた楽器を、今日つくることはできません。

そのことを思いながら、目の前のボトルを眺めました。
シャルル・ド・カザノーヴの「ストラディバリウス2009」。
雲丹の甘み、いくらの塩味、海苔の香ばしさに、シャンパーニュの酸と熟成香が重なります。
もっと華やかな一本はあるでしょう。
もっと力強い一本もあるでしょう。
けれど、2009年の空と雨と土が育てた葡萄を、今からつくることはできません。瓶のなかで重ねてきた年月も、早送りすることはできません。

時間がすべてを磨くわけではありません。古いものが、新しいものより優れているとも限りません。
技術が高めるのは、性能です。
時間が与えるのは、優劣ではなく、代えのきかない価値です。
ストラディバリウスが鳴らしているのは、音だけではありません。
その音には、技術では決して再現できない三百年までが、響いているのです。

f:id:hrm628:20260715170041j:image

パーペチュアル・リザーヴ

リザーヴワインとは、過去の収穫年のワインを保管し、
後年のブレンドに用いるワインのことです。
ノン・ヴィンテージのシャンパーニュでは、
毎年のスタイルを安定させるために、このリザーヴワインが使われます。
収穫年ごとのばらつきを整え、
どの年でも同じ印象を保つための土台となります。
言い換えれば、ノン・ヴィンテージは
過去のワインの蓄積によって支えられています。

そのリザーヴワインの扱い方には、いくつかの方法があります。
一般的には、ヴィンテージごとに分けて保管し、
ブレンドの段階で必要に応じて組み合わせます。
ある年の酸、別の年の果実、別の年の熟成感。
それぞれを選び取り、整えながら、
ひとつの味わいを組み立てていく方法です。
この方法では、味わいは「設計」されます。
どの要素をどれだけ使うかを調整できるため、
仕上がりはコントロールしやすくなります。

一方、パーペチュアル・リザーヴは考え方が異なります。
過去のワインを残しながら、新しい年のワインを継ぎ足していく。
ヴィンテージを分けて保管するのではなく、
ひとつの流れとして更新し続ける方法です。
ここでは、ワインは分けて扱われません。
一度加えたものは、そのまま全体の一部として残り続けます。
後から取り除いたり、組み替えたりすることはできません。

そのため、この方法でつくられる味わいは、
設計ではなく、積み重ねの結果としてあらわれます。
ブレンドが「設計」だとすれば、
パーペチュアル・リザーヴは「履歴」です。
毎年の判断がそのまま蓄積され、
ワインは連続的に変化していきます。
方向を大きく修正することはできません。
積み重ねの中で、整合性を保ち続けるしかありません。

2003年からリザーヴワインを継ぎ足している
ムッセの「ウジェーヌ」は、その特徴をよく示しています。
香りには、フレッシュミントを思わせるハーブ香があり、
その奥にほのかな洋梨の熟成感が重なります。
口に含むと、まず酸がすっと立ち上がります。
ただ、鋭いだけではなく、ドライな骨格の内側に
果実のやわらかさが残ります。
余計な濁りがなく、後半の軽い苦味が全体を引き締めます。

ノン・ヴィンテージは、単に均質なワインではありません。
そのスタイルは、リザーヴワインの扱い方によって形づくられます。
組み立てるのか。
積み重ねるのか。
その違いが、グラスの中にそのままあらわれます。

f:id:hrm628:20260710150039j:image

妙味の謎

今夜、肉厚の牛タンに包まれているネギを見ながら、ふと思いました。

不思議な取り合わせだと。

牛タンとネギ。

あまりにも見慣れた光景ですが、よく考えると、これは少し奇妙です。サーロインにネギを包もうとは、あまり思いません。フィレでもそうです。ハラミやホルモンにも似合う味つけはありますが、牛タンほどネギと強く結びついた部位は、そう多くありません。

なぜ、牛タンにはネギなのか。

そこに、妙味の謎があります。

そもそも牛タンは、牛肉のなかでも独特の部位です。

脂の甘みで押し切る肉ではない。やわらかさだけで魅了する肉でもない。しっかりした弾力があり、焼くことで香ばしさが立ち、噛みしめるほどに旨味がにじんでくる。けれども同時に、ほんの少し野趣も残しています。つまり牛タンは、豊かな旨味を持ちながら、それだけではどこか単調になりがちな肉なのです。

そこへネギが入ると、景色が変わります。

ネギは、にんにくほど支配的ではありません。大葉ほど涼やかに寄りすぎず、柚子胡椒ほど鋭くもない。辛味、青さ、水分、そしてわずかな甘みを持ちながら、主役を押しのけない絶妙な位置にいます。牛タンの脂を切るというより、少し持ち上げる。香ばしさを壊すのではなく、その奥にある旨味を引き出しやすくする。しかも、肉厚の牛タンのなかに包まれることで、ネギは単なる薬味ではなく、食感と香味の芯として働きはじめます。

これは、鰻に山椒、鰹に生姜、羊にミントに通じる取り合わせです。どれも、素材の重さや野趣や脂の厚みを、香りや辛味や清涼感によって整え、その素材がもっともおいしく立ち上がるところへ導いているのです。牛タンにネギも、まさにその系譜にあります。

今夜の一皿は、そのことをよく物語っていました。

肉厚の牛タンの弾力。焼かれた表面の香ばしさ。その内側に包まれたネギの青い香りとみずみずしさ。噛むたびに、肉の旨味だけが広がるのではなく、そこへネギが差し込み、味わいに陰影が生まれる。牛タンだけでは少し重くなりうるところを、ネギが軽やかに整えていく。その重なりのなかに、ただ「合う」というだけでは足りない、妙味が宿っていました。

そして、その妙味に寄り添ったのが、カステッロ・ディ・モンサントのモンロッソ・キャンティでした。ネギによって青さをまとった牛タンに、このワインはきちんと寄り添っていました。重く沈み込まず、酸が流れをつくり、果実味が明るさを残し、ネギの青さともぶつからない。そんな軽やかなモンロッソ・キャンティは、その陰影に見事に歩調を合わせていました。

肉の弾力、香ばしさ、旨味、そしてネギの青さとみずみずしさ。そのどれかひとつが欠けても、この妙味は生まれなかったはずです。今夜、肉厚の牛タンに包まれたネギを眺めながら、そんなことを思いました。

f:id:hrm628:20260705005605j:image

「炭シャン」という視点

料理とシャンパーニュの相性を考えるとき、食材や料理名に加えて、わたしが意識しているものがあります。
香りです。
わたしも、まずは食材を起点にペアリングを考えます。

しかし、同じ魚でも、煮魚と炭火焼きとでは、立ち上る香りはまったく異なります。
炭火で焼いた魚、焼鳥、鰻、焦がした野菜。
食材は違っても、そこには焦げや燻香、皮目の香ばしさという、火が残した香りがあります。

一方、シャンパーニュも熟成によって、ブリオッシュやナッツ、トーストを思わせる香りを育てていきます。
火が生み出した香りと、時間が育てた香り。
その二つを重ねるのが、わたしの考える「炭シャン」です。

この日合わせたコレ「アール・デコ・ブリュット」には、白い花や果実を思わせる華やかな香りがあり、その奥にはスモーキーなニュアンスも感じられました。味わいには、海塩を思わせるニュアンスがありました。
焼き魚の香ばしい皮目。
ほどよい塩気。
そして、骨際に残る濃密な旨味。
そこにシャンパーニュを重ねると、火が生み出した香りと、時間が育てた香りが響き合い、魚の旨味の輪郭まで鮮明になりました。

何と何を合わせるかに加えて、どの香りとどの香りを重ねるか。
食材から考えたペアリングに、香りという視点を重ねる。
料理名だけでは見えなかった相性が、そこから立ち上がってきます。

f:id:hrm628:20260630060342j:image

なぜ宮廷は、シャンパーニュを必要としたのか

世界最古のシャンパーニュメゾン、ルイナールが創業したのは1729年。
フランス革命より60年も前、まだ宮廷文化が美意識の中心にあった時代です。
宮廷の食卓は、短い食事の場ではありません。
料理は幾重にも続き、人は入れ替わり、会話は絶えず流れていく。
そこで求められていたのは、
関係を崩さずに時間を運び続けることでした。
そこで意味をもったのが、シャンパーニュです。
泡が口中の脂や旨みをほどき、酸が輪郭を引き締め、後味を引きずらない。
ひと口ごとに状態を整え、次の皿へと自然に移行させる。
シャンパーニュは、料理と料理のあいだをつなぎ、食卓の流れを保つ酒として機能しました。

同時に、宮廷では会話もまた続いていきます。
沈黙は避けたい。しかし言葉が重く積み重なることも望ましくない。
必要なのは、軽やかに続く応酬です。
シャンパーニュは、そのリズムを支えます。
一度に飲まず、少量ずつ口に含む。
グラスに手を伸ばす動作が自然な間を生み、口中が整うことで次の言葉が出やすくなる。
その繰り返しが、場を停滞させません。

しかし、宮廷文化においては、これだけでは足りません。
そこでは、美しく見えることそのものが価値です。
エレガントさ、雅びやかさ、品性品格が求められるのです。
料理も、器も、衣装も、所作も、すべてが視線にさらされている。
飲みものもまた、機能するだけではなく、場の美を構成する一部でなければなりませんでした。
シャンパーニュは、その条件も満たしていました。
淡い黄金色の液体、光をやわらかく返す輝き、そして絶えず立ち上がる細かな泡。
静止した酒にはない、液体の中の動きが、卓上に微細な緊張と活気を生みます。
さらに、ボトルを開け、注ぎ、泡が立ち上がるまでの所作そのものが、場面を切り替える演出として機能します。

実際にこの日抜栓したルイナールのブラン・ド・ブランも、その本質をよく示していました。
香りはほのかに白い花や柑橘を思わせながらも、全体を支配しているのは、石灰質の土壌を想起させる白いミネラルです。
口中では、きめ細かな泡と端正な酸が、果実の均衡を保ちながら緊張感を与え、味わいに気高さをもたらしています。

なぜ宮廷は、シャンパーニュを必要としたのか。
それは、単に珍しい泡の酒だったからではありません。
料理の流れを整え、会話のリズムを支え、しかも場を美しく見せる。
その三つを同時に満たす酒だったからです。
シャンパーニュは、長い時間、多くの人、複雑な関係が交錯する場において、
流れを止めず、美しさを損なわず、関係を保ち続けるために必要とされた酒でした。
そして、その結果として、祝祭の象徴になったのです。

f:id:hrm628:20260630055646j:image