未知なるマリアージュの世界へようこそ!

私の超オススメワインをご紹介します🥂🍷✨

なぜ、ロゼシャンパーニュは白よりも圧倒的に数が少ないのか

今夜は、ドゥモアゼル ロゼ・ブリュット NVを抜栓しました。
淡くも確かな色調がグラスに立ち上がり、米沢牛の肉寿司の艶と静かに響き合っています。
この一杯を前にすると、ロゼの本質が、はっきりと浮かび上がります。
ロゼシャンパーニュが少ない理由は、難しいからではありません。
管理すべき変数が、白より一つ多いからです。

白のシャンパーニュは、極めて高度ではありますが、基本的には「味の設計」に集中できます。
酸、果実、泡、熟成、ドサージュ。
これらをどこに着地させるかがすべてです。

一方、ロゼはそこにもう一つ、明確な変数が加わります。
色です。
ロゼの多くは、白ワインに少量の赤ワインを加えることでつくられます。
このとき赤ワインは、色だけでなく、タンニンや色素といったフェノール成分、さらには果実の厚みや質感までも同時に持ち込みます。
つまりロゼは、
色と味が同時に変化する操作によって成立する酒です。

白であれば、味のバランスを整えればよい。
しかしロゼでは、それだけでは不十分です。
たとえば、しっかりとした色調であれば、それに見合う果実の厚みや構造が必要になります。
逆に、非常に淡い色であれば、味わいもそれにふさわしい繊細さを保たなければなりません。
つまりロゼは、色と味の整合性まで同時に設計しなければならない酒なのです。
しかもこの整合性は、単純な比例関係ではありません。
赤ワインをわずかに増減させるだけで、色も味も同時に動き、しかもその動きは直線的ではない。
ほんの数%の差で、
・色は理想的でも、味が重くなる
・味はよくても、色が示す印象と噛み合わない
こうしたズレが生じやすいのです。

さらに、使用する赤ワイン自体が安定しません。
冷涼なシャンパーニュでは、色やタンニン、果実の熟度が年ごとに大きく揺れます。
つまりロゼは、毎年変動する赤ワインを使いながら、色と味の整合性を取り続けなければならない酒です。
白であれば考えなくてよい条件を、常にひとつ多く抱え込む。
これが、ロゼの本質的なやっかいさです。

こうした事情から、ロゼをラインナップに加えない生産者も少なくありません。
つくれないのではなく、
白以上に、精度と整合性を継続して成立させることが難しいからです。

では、今夜のドゥモアゼル ロゼ・ブリュット NVはどうか。
グラスにあらわれる色調と、口に含んだときの果実の広がり、そして酸の張り。
そのすべてが、無理なく一致しています。
これは、単にバランスがよいのではありません。
色という変数を含めた設計が、破綻なく成立しています。
ロゼとは、華やかさのためのスタイルではありません。
ひとつ多い〝変数〟を制御しきれるかどうかが問われるシャンパーニュです。

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なにを知っていたかではなく、なにを決めつけていたのか

古酒の魅力とは、おいしさだけを追い求めることではありません。
そのワインに対して、自分がどんな思い込みを抱いていたのかに気づくことです。

今夜、香ばしく焼き上げられた鮑のパイ包み焼きとともにいただいたのは、メリーニのキャンティ・クラシコ1968。
色あせたエチケットのボトルから注がれたワインは、淡いレンガ色を帯びていました。

キャンティ・クラシコは、ボルドーのメドック格付けワインほど、長期熟成のイメージが強いワインではありません。
ましてや1968年。
半世紀以上を経たその一本に、どれほど味わいが残っているのか。期待するというより、確かめたいという気持ちがありました。

ひと口含むと、熟成した香りには奥行きがあり、繊細な酸もなお保たれていました。
料理とともに味わっても印象がぼやけることはなく、味わいには確かなまとまりがありました。

驚いたのは、おいしかったことだけではありません。
キャンティ・クラシコは、これほど長い時間を経ても味わいを保つワインではないだろうと、自分がどこかで決めつけていたことです。
知識や経験は、ワインを理解する助けになります。
しかし、それらを重ねるほど、「この品種はこう」「この産地はこう」と、熟成の方向性まで、知らないうちに決めてしまうことがあります。
古酒は、ときに、そんな自分の思い込みをあらわにします。

古酒の魅力とは、おいしいかどうか、まだ飲めるかどうかを確かめることだけではありません。
一本のワインが時間のなかで秘めてきた可能性に出会い、自分がなにを知っていたかではなく、なにを決めつけていたのかに気づくことなのです。

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リースリングの行き着く先

ワインを長く飲んでいると、熟成後の変化がおおよそ想像できるようになります。

シャンパーニュなら、泡は液体へと溶け込み、ブリオッシュやナッツの香りがあらわれます。

白ワインなら、果実味や酸が落ち着き、蜂蜜や蜜蝋のニュアンスが広がります。
赤ワインなら、タンニンが和らぎ、土や革、枯葉を思わせる複雑さが顔をのぞかせます。
もちろん、ワインは一本ごとに個性があります。

それでも経験を重ねるほど、変化の方向はある程度見えてくるものです。
ところが、今夜のクロスター・エーバーバッハ「シュタインベルガー2011」は、まったく違いました。
グラスから立ち上る香りに、若いリースリングの柑橘や白い花の面影はほとんどありません。
熟成によるペトロールや蜜蝋の香りが幾層にも重なり、その奥に、どこか張り詰めた空気が漂っています。

シャンパーニュとも違う。
ボルドーとも違う。
ブルゴーニュとも違う。

自分の中にある熟成ワインの記憶をたどっても、うまく重なるものが見つかりません。
さらに驚かされたのが、牛レバーとの組み合わせです。
最初は、熟成リースリングがレバーの濃厚さを受け止めてくれるのだろうと思っていました。
ところが、グラスを重ねると、レバーの印象は思いがけず変わりました。
熟成リースリングは、濃厚さを包み込むのではなく、奥にひそんでいたほのかな甘味を静かに引き出してくれたのです。
どれほど経験を積んでも、ときどき、想像を超えてくるワインに出会います。
シュタインベルガー2011は、まさにそんなワインでした。

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なぜ、偉大なボルドーは若さを保つのか

年月を重ねたワインを開けるとき、わずかに緊張します。
香りはちゃんと立つだろうか。
味わいは酸化していないだろうか。
コンディションは大丈夫だろうか。とくにそれが高価なワインであれば、なおさらです。

ところが、今夜開けた一本は、その予想を見事に裏切りました。
1982年のChâteau Boyd-Cantenac。
44年という歳月を経たとは思えないほど、若々しい。
タンニンは完全に溶け込み、口当たりはなめらか。
それでいて味わいの芯はしっかりと残り、どこにもピークアウトの気配がありません。
ワインは軽やかにほどけ、繊細な表情を見せます。
むしろそのエレガンスは、熟成したピノ・ノワールのようでした。

なぜ、こんなことが起こるのでしょうか。
こたえは、果実そのものの力にあります。
偉大なボルドーは、長い熟成に耐えるようにつくられています。
そして、その設計は三つの条件によって支えられています。

まず一つ目は、厚い果皮を持つぶどうです。
ボルドーではカベルネ・ソーヴィニヨンが中心となることが多く、この品種は皮が厚い。
その皮の中には、渋みや色素が豊富に含まれています。
これがワインにしっかりとした支えを与え、長い時間を受け止める力になります。

二つ目は、砂利の多い土壌です。
メドックの畑には砂利が多く、水がすぐに抜けてしまいます。
ぶどうは水を求めて深く根を伸ばし、その結果、果実は小さく引き締まります。
味わいは凝縮し、密度の高いワインが生まれます。
そして三つ目は、収穫量を抑えたつくりです。
偉大なシャトーでは、量より質を重視します。
収穫量を抑えることで、一粒一粒の果実の力が高まり、ワインには厚みと集中力が生まれます。

こうして三つの条件がそろうと、
果実の力が、簡単には衰えないワインになるのです。
多くのワインは、年月とともにまず果実が弱くなります。
果実が衰えると、渋みだけが残り、味わいは痩せていきます。
それが、いわゆる〝老けた〟ワインです。

しかし、偉大なボルドーでは違います。
果実の力が長く持続するため、
時間が経つと、渋みだけがゆっくりほどけていきます。
その結果、ワインは衰えるのではなく、
なめらかさとエレガンスだけが増していくのです。

1982年のボイド・カントナックは、まさにそんな姿でした。
タンニンは絹のように溶け込み、
それでも果実の芯は、まだ静かに息づいています。
だから、このワインは44年経っても古びないのです。

偉大なボルドーは、歳を取らないのではありません。
果実の力が、簡単には衰えないようにつくられている。
その精緻な設計こそが、長い年月を経ても若さを保つ理由なのです。

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霜降り肉の、その先

今夜いただいたA5-12のヒレ肉は、わたしが長く抱いていた「霜降り肉」のイメージを、そっと更新する一皿となりました。

A5-12と聞けば、多くの人は、脂の存在感を前面に押し出した肉を想像するかもしれません。けれど、目の前にあらわれたヒレは違いました。
凛とした密度感を持つ肉。赤身の輪郭がきちんと残り、その中へ、絹のように細かなサシが静かに溶け込んでいます。

口に含むと、脂は前へ出すぎません。赤身の繊維とともにゆっくりほどけ、香りだけを淡く残して消えていく。雌牛らしい、角の取れたやわらかな香りも印象的でした。
和牛の世界では、サシの入り方は12段階で評価され、その最高値が「12」とされます。けれど今夜のヒレは、その極端な数値を、“重さ”ではなく“品”として成立させていました。

合わせたのは、Bourgogne Rouge Domaine Fontaine-Gagnard 2021。
力で押し切るようなタイプのワインではありません。酸や香りの陰影が美しい、ブルゴーニュです。
もしこれが、かつて理想とされたような、脂の厚みを前面に出すA5-12だったなら、おそらくこのワインは成立しなかったでしょう。

今夜のヒレは、やはり違いました。
脂の量で圧倒するのではなく、赤身との均衡の中で、静かな余韻をつくっていく。だからこそ、ワインもまた、強さではなく、繊細さで寄り添うことができたのです。

思えば、日本の和牛文化は長く、「どれだけ美しくサシを入れるか」を追い求めてきました。
日本で牛肉文化が広がった背景には、すき焼きやしゃぶしゃぶのように、薄切り肉を短時間で火入れする食文化があります。その調理法において、霜降り肉は圧倒的でした。熱が入ると脂がすっと溶け、肉はやわらかくほどける。噛み締めるというより、舌の上で消えていく感覚を楽しむ。その繊細な快楽は、日本人の美意識と深く結びついていたのでしょう。
そうした価値観は、和牛を世界でも特異な肉文化へと形づくっていきました。

いま、その“理想のかたち”が、少しずつ変わりはじめているように感じます。

脂の量ではなく、脂の質。
ひと口目のインパクトではなく、余韻の長さ。
見た目の美しさではなく、食べ疲れしないおいしさ。

今夜のA5-12ヒレは、まさにその変化を象徴していました。
霜降りを極めた先で、日本の和牛文化は、
「脂をどう入れるか」ではなく、
「脂をどう調和させるか」という新たなステージへ、
少しずつ向かいはじめているのかもしれません。

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マリアージュの第三の意味

マリアージュは、しばしば「合うかどうか」で語られます。
組み合わせによって相乗効果が生まれるかどうかでも語られます。
もちろん、それは大切な基準です。
料理とワインが無理なくつながり、味わいが広がることは、優れたペアリングの条件のひとつです。
けれど、それだけでは言い尽くせません。
マリアージュには、互いの個性が見えてくるという、もうひとつの意味がある。
鮨とシャンパーニュは、そのことをよく教えてくれます。

鮨は、それだけで完成度の高い食べ物です。
おいしい鮨に出会うと、それは「完成品」として受け取られがちです。
そこにシャンパーニュが入ると、見え方が変わる。
酸が脂の輪郭を引き締め、泡が口中を切り替える。
甘みの位置、香りの立ち上がり、余韻の流れが、ひとつではなく層としてあらわれる。
鮨の中にあった差が、ほどけて見えてくる。

一方、シャンパーニュもまた、鮨によって具体になる。
単独では抽象的だった酸やミネラル、泡の質感が、どこにどう作用しているのか、手触りとしてあらわれる。
この「第三の意味」を考えるうえで、ある一本のシャンパーニュが印象的でした。
セドリック・ムッセが手がける
「Vignes de Mon Village」。
ヴァレ・ド・ラ・マルヌ右岸、キュイルの南向き斜面。
イライトを多く含む緑色の粘土質土壌。
ムニエ100%。
ドサージュはゼロ。
香りは華やかに広がるというより、内側にじわりと収束する硬派なタイプ。
鮨と合わせると、ノン・ドサージュでありながら、青リンゴのような硬質な果実のニュアンスが前に出てくる。

白身に合わせれば、酸の繊細さがそのまま見え、
脂のあるネタでは、泡がどの速度でほどけるかがわかる。
シャリの酢と重なれば、甘みや苦みの位置が、くっきりと浮かび上がる。
このシャンパーニュは、寄り添うというよりも、
鮨の特性を、そのまま露わにする。
同時に、鮨の側も変わる。
「いつもの味」として受け取っていた一貫が、
温度、香り、脂の質の違いとして立ち上がる。
ここで起きているのは、
鮨とシャンパーニュが、互いを通して輪郭を持つこと。
これが、第三のマリアージュです。

組み合わせることで、
それまで見えていなかった個性が、はっきりとあらわれる。
マリアージュとは、相性や相乗効果だけではない。
味わいを読み解くための方法でもある。
今夜の鮨とシャンパーニュは、そのことを鋭く示してくれます。
見えにくかったものを、見えるようにする。
そこにこそ、マリアージュの第三の意味があります。

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好不況に左右されにくい、シャンパーニュの強さ

世界的にワイン市場が減速しています。
若年層の飲酒習慣の変化や健康志向、インフレによる消費マインドの低下などを背景に、日常消費向けワインは厳しい局面にあります。
もちろん、シャンパーニュも景気の影響を受けます。
出荷量が落ち込む年もありますし、高級酒である以上、消費者心理が冷え込めば無関係ではいられません。
それでもシャンパーニュには、他のワインカテゴリーとは異なる強さがあります。
その理由は、「祝う」という行為と強く結びついているからです。

赤ワインや白ワインは、食事との相性や価格対品質で比較されやすい酒です。景気が悪くなると、「その価格に見合うのか」という視点で選ばれやすくなります。
一方、シャンパーニュは少し趣が異なります。
結婚、昇進、記念日、再会、年末。
あるいは、「今日は少し特別にしたい」という夜。
そこにあるのは、単なる飲酒ではありません。
時間を華やかに整えるための一杯です。
だからこそ、日常の消費が縮小する局面でも、「祝うための一本」としての需要は残りやすいのです。

さらに、シャンパーニュには長い時間をかけて築かれた信頼があります。
ボトルを開ければ、その場が華やぐ。
乾杯にふさわしい。
贈り物としても選びやすい。
こうした安心感は、不況期ほど強みになります。
景気が悪くなるほど、選ぶ理由の明快さが求められます。

加えて、シャンパーニュには供給と品質の規律があります。
AOCによる厳格な管理のもと、収量や品質は長期的にコントロールされ、リザーヴワインの活用によって安定性も保たれてきました。
つまりシャンパーニュは、祝祭性だけでなく、それを支える品質の安定によって価値を保ってきたワインなのです。

デューツのブリュット・クラシックには、そうしたシャンパーニュらしさがよく表れています。
端正な味わいと安定した品質があり、祝う場面に自然に寄り添ってくれます。
そうした佇まいは、不確実な時代ほど印象に残ります。
シャンパーニュの強さとは、そういうものなのかもしれません。

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